1、治水の想定外から命を守る


【治水】とは、洪水・高潮などの水害や、地すべり・土石流・急傾斜地崩壊などの土砂災害から人間の生命・財産・生活を防御するために行う事業を指し、具体的には、堤防・護岸・ダム・放水路・遊水池などの整備や、河川流路の付け替え、河道浚渫による流量確保、氾濫原における人間活動の制限、などが含まれる。 (ウィキペディア)

水を治めると書く治水という言葉。英語ではFlood Controlと書きます。逆翻訳すると洪水調整でしょうか、しかしながら、日本語において治水とは洪水の調整だけにとどまらず、水を資源として利用するための制御をする利水、さらには土砂災害を防ぐ砂防、森林を保安する治山を包括的に含む言葉なのです。

日本を含め多くの国や都市において、治水は災害を防ぐために重要だとされてきました。なぜなら多くの文明社会は川の氾濫によって作られた沖積平野(ちゅうせきへいや)によって営まれてきているからです。当然に日本も例外ではありません。洪水被害を受けて当然の地域なので治水と文明社会は切り離せないものなのです。

日本の治水の歴史は弥生時代に遡るといわれています。今日に至るまでに災害で多くの犠牲者を出したものの、時代の流れ文明の進歩と供に治水も進歩してきました。そして今日においては100年に1度の災害にも耐えうる想定での治水が施され、水害は全国一律で少なくなりました。これは人々にとって安心して暮らす事ができて幸せな事です。しかし、その反面失われてしまった事もあります。

昔は今と比べて治水が脆弱でしたから、雨が続いたり台風が来たりして川の水かさが増えると小規模な水害が多くありました。なので、その地域に住む住民は「この川が氾濫するとこの地域は水に浸かる」だとか、「あの川の近くには家を建てないほうがいい」というように、防災に関するその地域固有の情報や知恵を住民は共有していました。さらには小規模な水害であれば住民同士で協力をしあって土嚢を積んでなんとか防ぐ事ができたりもしました。地域で連帯して協力しあって災害を乗り切る連帯意識や共同体意識が当時はあったのです。しかしながら、治水が進歩するにつれて、川には大きな堤防が出来て100年に1度の増水にも耐えられるようになりました。そうして住民たちが元々持っていた災害に備える知恵を失い、連帯意識も失われていきました。

こうして人々は100年に1度の災害に対応できる治水設備を得る代わりに想定外の災害に対する対応するだけの知恵も共同体として助け合う能力も失ってしまいました。

そこに襲いかかるのが100年に一度の確率を超える災害、想定外の災害です。

東日本大震災もまさしくそういう状況の中で起こりました。

そして自然の猛威はさらに防災意識の弱った人々容赦なくを襲ってきます。2000年頃から地球温暖化による海水温度の上昇の影響により、日本においても水害の状況が変ってきました。台風の大型化、ゲリラ豪雨の増加など、明らかに本来であればもっと南の地域で起こるような大雨が増えてきました。日々のニュースでも大雨や洪水による被害のニュースも増えてきており、多くの犠牲者、被災者、経済的損失を出してしまいました。いずれも想定を超えた大雨に100年に1度の確率で防げるはずの治水がおいつかなくなってきた事がうかがえます。

当然ながら想定をもっと厳しいものに変える必要がありますが、想定の見直しと河川の工事には莫大な費用と多くの時間がかかります。しかし自然は待ってはくれません。今私たちに必要な事は現在の治水の想定がすでに100年に1度の災害を防げるものではなく、いつ想定外の大雨や洪水が起こるかわからないという事を認識して、命を守る知恵を身につけ地域の人たちと共同して命を守る事なのです。

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