7、自助、共助、公助


防災の話を聞くと、まずはどこの勉強会や講演でも「自助、共助、公助」の話がなされます。

自助とは自ら命を守ること、共助とは近く人いる人で助け合う事、公助とは国や自治体の制度や堤防などの設備によって守ってもらうこと。言葉の意味としてはこのように理解で正しいでしょう。しかし、考えないといけない事があります。それは、

「人為的に高める安全が人間の脆弱性を高める」という事です。

どういう事でしょう、原因は2つあります。一つ目は「行政のできる事に限界がある」二つ目に「過度な行政依存体質になる」という事です。順を追って説明しましょう。

「行政のできる事に限界がある」というのは、交通事故に例えると、いくら道路や信号機を整備して法律で飲酒運転を規制したところで、人は法を犯し、信号を無視して事故を起こしてしまうという事です。つまり交通事故はゼロにはなりません。もし何の対策もせずに1億2千万の人口のうち、年間何万人も亡くなっていれば、それはシステムに不具合がある事になりますが、年間千人が亡くなる程度あれば、あえて言うのであればそれは事故です。行政がいかに優れたシステムを用意しても、交通事故の死者数をゼロに出来ないように、災害で死者を毎年ゼロにする事はできないのです。

そして二つ目、「過度な行政依存体質になる」これはどういう事でしょうか。日本は戦後の復興期においても災害によって毎年多くの人命が奪われてきました。そんな中、1959年(昭和34年)に災害対策基本法が整備され、行政主導の枠組みの中で防災対策がなされるようになりました。それからは50年間以上にわたって住民の心には「防災は行政の仕事だ」という考えが当たり前になって定着してしまいました。これによる弊害が「過度な行政依存体質」です。要は自然災害に立ち向かうのは行政で、行政の庇護の下に住民がいるという構造です。行政は堤防を作りダムを作り、様々な設備で住民を守ります。そして逃げないといけないときは避難勧告を出して住民に教えてくれます。こういう事を50年以上の間、法に裏うちされて続けてきたのです。もちろんこういった行政の動きによって何も対策をしなければ年間数千数万の犠牲者が出たかもしれないところを、行政の仕事によって犠牲者は年間100人程度に減りました。しかし、だからこそ住民は必然的に行政依存体質になってしまい、行政主導の安全を享受できる代わりに、共助としての共同体意識を失い、さらには自助ですら「受身」になってしまったのです。そんな無防備になってしまった住民に100年に一度の行政の想定を超えた災害がいつ襲い掛かってもおかしくないのです。

単純に自助、公助が重要だと言っても、それが公助によって人為的に高められた安全によって「脆弱化した受身の自助、共助」であっては本来の自助・共助の力を十分に発揮できないでしょう。防災教育においては「本能的、積極的、内発的な自助、共助」に高めていく事が重要です。つまり、「行政の対応には限界がある、やはり地域の安全、自分の安全は自助、共助だ」という仕方なくやらされている受身の自助・共助ではなく、親として当然に子どもを守る気持ち、住んでいる地域に愛着を感じ、ずっと安全に幸せな暮らしを送りたいという、人間が本来持っている本能的で積極的、内発的な内から沸々と沸いてくるような自助、共助の精神を取り戻す事が防災教育に求められている事なのです。

まとめ、自助、共助は本来内発的であったにもかかわらず、受身の公助に長い間にどっぷり依存する事によって、自助共助まで仕方ないからやるという受身体質にかわってしまった。強く生きるために自助・共助を本来の内発的で強靭な自助・共助を取り戻しましょう。

 

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